「宴会ギャグ」から「伝統」へ――偽の布告『万歳三唱令』の数奇な運命

「万歳三唱に作法がある」――そう聞いて、あなたは信じるだろうか?1990年代末、この問いに国立国会図書館が翻弄された。『万歳三唱令』と呼ばれる明治初期の布告文書が各地に出回り、自治体から問い合わせが殺到したのだ。トイレットペーパー騒動や豊川信用金庫事件1。根拠のない噂が社会を動かす例は枚挙にいとまがないが、この『万歳三唱令』には他とは違う特徴があった。それは、知的センスとユーモアに満ちた「愉快な創作」として生まれたという点だ。では、なぜこの創作は「怪文書」として世間を混乱させるに至ったのか?国立国会図書館による注意喚起、創作者の発覚、そして創作秘話――。本コラムでは、この奇妙な文書の数奇な運命を追っていく。


世紀末の奇妙な報道

アンゴルモアの大王はやってこなかった。でも来月にはコンピュータの暴走で世界が崩壊してしまうかも…… そんな不穏な空気が漂っていた、かもしれない1999年12月11日、共同通信から奇妙な報道が出された。それは「万歳三唱の作法を騙る偽の『太政官布告』2が出回っている」というものだ。出回っている布告は『万歳三唱令』だという。同文書は「施行明治十二年四月一日 太政官布告第百六十八号」として万歳三唱の作法が細かく記載されている。該当する布告は存在せず、形式も当時の法令とやや食い違いがあるものの、御名御璽3が記載されているなど巧妙に作られている。正直、一般人には区別ができない出来だ。同文書の真偽について、1998年ごろから北海道から九州まで、全国の自治体から国立国会図書館への問い合わせが相次いでいる状況で、同図書館の担当者は「『不幸の手紙』のように広がっているのでは」「だれが何のために文書を作ったのか」と困惑しながらも、信じないよう呼びかけを行っている。

この偽の太政官布告『万歳三唱令』は、心構えとして「音頭をとるものは気力充実、態度厳正を心がけること」、「その心を一つにして心高らかに唱和すること」をうたい、続く『細部実施要領』として、以下のように手順を細かく解説している。

  1. 基本姿勢は直立不動で、両手指をまっすぐ下方に伸ばし体側にしっかりつける。
  2. 万歳発声とともに右足を半歩踏み出し、同時に両腕を垂直に高々と上げる。この際、両手指がまっすぐに伸び、かつ両手を正しく内側に向けておくことが肝要。
  3. 発声終了と同時に素早く直立不動の姿勢に戻る。
  4. この一連の動作を節度を保ち気迫を込めて三回繰り返す

万歳といえば足は動かさず、手を前向きにして上げるような動作を通常は考えるだろう。右足を前に出したり、手を内向きに上げるなど、ずいぶんと奇妙なポーズを指示しているではないか。試しにやってみてほしい。なかなか間抜けな姿勢である。

万歳作法の受容

そもそも、バンザイは「お祝い」の際に用いられるほかに、「お手上げ・降参」のポーズとしても用いられる。それを巧みに区別し形式化する内容が、「マニュアル人間」と揶揄されることもある日本人の心をくすぐるのだろうか。当時、『万歳三唱令』は美術館や宿泊施設など各所で見られたようで、鹿児島県ではとある県議がすっかり信じ込んでしまい、鹿児島市の大学合同同窓会でこの万歳作法を披露し、列席したメンバー60人にも唱和をお願いしてしまう、なんてこともあったようだ。

「右足を前に出す」という動作はともかく、「内向きに手を挙げる」ことで「お手上げ・降参」型バンザイと区別ができる、ということがよほど説得力を持ったのだろう。その後さまざまな場面で、『万歳三唱令』の手のひら内向き万歳こそ「正式な作法である」、「伝統にのっとっている」と、現在にいたるまでたびたび話題に上がっている4。皮肉なことに、偽の布告が「伝統」として受容されているのだ。また、2017年衆院選では、約半数が手のひらを内向きにして万歳をしているようで、『万歳三唱令』の影響がうかがえる。「うそから出たまこと」ということわざがあるが、まさしくこのことを言うのだろう。

創作者の告白

さて、そんなある種新しい文化を創造しつつあるといっても過言ではない『万歳三唱令』だが、2017年に新たな展開を迎える。なんと熊本日日新聞社に、「『万歳三唱令』を創作したのは我々だ」と告白する手紙が届けられたのだ。手紙の差出人は「正萬会議事務局」。60代~70代の公務員らのグループで、長く熊本県内に住んでいるという。

『万歳三唱令』誕生のきっかけは1985年ごろ。職場のゴルフ定例コンペの宴席で、誰かがふらふらと、酔いに任せて珍妙な格好の万歳を行ったことだという。それを見た「事務局」の中心人物Aが真似て、盛り上がりを受けて「右足を出す」動作を付け加えるなどして動作を確立。鉄板ネタの一発芸として、宴会等の終りには必ず実施するようになっていった。この一発芸には不思議な楽しさがあるのか、万歳をやるため、見るためだけに宴会に参加するような人も来るようになったという。ゴルフもせずにである。

このころの「万歳三唱」は単なる宴席の一発芸。なぜ、ここから精巧な太政官布告として文書化されるに至ったのだろうか。

『万歳三唱令』の創作

きっかけは1989年ごろ、Aが参加していた研修があまりにも暇だったことだという。暇な時はどうしても、どうでもいいことを思考してしまいがち。ちょうど転勤となり、ゴルフコンペの仲間たちとも疎遠になり「万歳三唱」を披露する機会がなくなっていたこともあって、あのネタを正当化するような文書を作ってしまおう、と思い立ったとのこと。どうせなら古いほうがいい。そうだ、『廃刀令』、『断髪令』と並ぶ『明治三大布告』の一つ、太政官布告『万歳三唱令』というのはどうだ――5

折しも1989年ごろ、Aは新たな仲間たちと知り合いになり、つるむようになった。彼らチームは「正しい万歳三唱を普及する国民会議」略して「正萬会議」事務局として立ち上がり、Aが初代事務局長に就任する。

『万歳三唱令』作成にあたって、まずは発令日だ。明治10年の西南戦争終結というめでたい出来事の後、ということで明治12年4月1日とした6。次に体裁。メンバーは東京出張の際に国立国会図書館を訪ねて実際の太政官布告を参照する。実物を見たところ、布告は「条」ではなく「條」という漢字を使用していたことがわかり、『万歳三唱令』にも反映することにした。

こうして構想を練り、体裁を整えた『万歳三唱令』は以下のとおりとなった。

原文:

萬歳三唱令

別紙ノ通相定来明治十二年四月一日ヨリ之ヲ施行ス

右奉 勅旨布告候事

施行 明治十二年四月一日太政官布告第百六十八号

第一條 萬歳三唱ハ大日本帝國及ヒ帝國臣民ノ天壤無窮ノ發展ヲ祈念シ發聲スルモノナリ

第二條 發聲ニ當リ音頭ヲ爲ス者氣力充實態度嚴正ヲ心掛クルヘシ亦唱和スル者全員其心ヲ一ニシテ聲高ラカニ唱和スルモノトス

第三條 唱和要領細部ニ附テハ別ニ之ヲ定ム

朕萬歳三唱ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

此布告ハ明治十二年四月一日ヨリ施行スヘキコトヲ命ス

御名御璽

萬歳三唱ノ細部實施要領

一 萬歳三唱ノ基本姿勢ハ之直立不動ナリ而シテ兩手指ヲ真直下方ニ伸ハシ身体兩側面ニ完全ニ附著セシメルモノトス

二 萬歳ノ發聲ト共ニ右足ヲ半歩踏出シ同時ニ兩腕ヲ垂直ニ高々ト擧クルヘシ此際兩手指カ真直ニ伸ヒ且兩掌過チ無ク内側ニ向ク事肝要ナリ

三 萬歳ノ發聲終了ト同時ニ素早ク直立不動ノ姿勢ニ戻ルヘシ

四 以上ノ動作ヲ兩三度繰返シテ行フヘシ何レノ動作ヲ爲スニモ節度持テ氣迫ヲ込メテ行フ事肝要ナリ

要旨:

本文

別紙のとおり明治12年4月1日よりこれを施行する。

右、勅旨を奉じ、布告する。

第一条:発声は、大日本帝国と帝国臣民の永遠の発展を祈って行うこと。

第二条:音頭を取る者は、気力充実・態度厳正を心掛けること。唱和の際には、全員心を一つにして声高らかに行うこと。

第三条:細部については別に定める。(実施要領を参照)

実施要領

1.万歳三唱の基本姿勢は直立不動である。両手は指をまっすぐ下方に伸ばし体の側面にしっかり付ける。

2.万歳の発声とともに右足を半歩踏み出し、同時に両腕を垂直に高々と挙げる。その際、両手の指をまっすぐに伸ばし両掌を内側に向けておく。

3.万歳の発声終了と同時に素早く元の直立不動の姿勢に戻す。

4.以上の動作を三度繰り返して行う。いずれの動作も節度を持ち、かつ気迫を込めて行うことが肝要である。

『万歳三唱令』の配布と普及・そして封印へ

出来上がった『万歳三唱令』を片手に、正萬会議のメンバーは「万歳三唱」を宴席で実演するようになる。この時、作成した『万歳三唱令』のコピーを配布していたという。1989年頃から1990年代にかけて、熊本市、久留米市、鹿児島市など、九州各地の宴席で実演し、配布を行っていたそう。もちろん、「酒席以外では絶対にやってはいけない」とくぎを刺すことも忘れなかったそうだ。しかし、文書が人づてにコピーを繰り返される過程で、いつしか「宴会ギャグの資料」というメタデータは揮発していったようだ。九州各地で配布された文書は、出張者や転勤者を通じて、全国に広がっていったのだろう。

そして1999年、冒頭で紹介した共同通信による報道を皮切りに、地元「熊日新聞」や全国紙などでも報道されたことが転機となった。皮肉にも『万歳三唱令』作成にあたってお世話になった国立国会図書館をはじめとする関係機関各所に迷惑をかけたという反省、そして自分たちの「愉快な創作」が「不幸の手紙」のような怪文書の扱いで報じられていたことへのショック。正萬会議の活動停止および文書の封印を決断したという。


以上が、宴席の一発芸から始まり、混乱を生みつつもなぜか新たな文化を創造しつつある文書『万歳三唱令』の物語である。いかがだっただろうか。個人的には、文書作成の過程が非常に知的な取り組みになっていることが非常に面白く感じた。最後にまとめとして、以下二点について考えてみたい。

  • 揮発したメタデータ
  • 偶然一致した二つの時代背景

揮発したメタデータ

文書がもっていたメタデータは、「宴会ギャグ『万歳三唱』を規定する文書」というものである。この情報からわかることは、文書が補強したい主題は実のところ、「宴会ギャグ」そのものであって、「万歳三唱」ではないということだ。つまり宴会で受けたジェスチャーが「エイエイオー」なら「曳々応令」になっていただろうし、「ありがとうございました」なら「感謝令」になっていただろうと容易に想像できる。「万歳三唱」が受けたのは、たまたまに過ぎないのだ。しかしこのメタデータが揮発したことによって、文書の主題が「万歳三唱」ひいては「万歳の作法」へとすり替わってしまった。

偶然一致した二つの時代背景

一致した時代背景とは、「万歳は本当に明治期に作られた説がある」ことと「世紀末の日本に伝統を正当化する動きがあった」ことだ。

万歳は本当に明治期に作られた説がある

石井研堂著『明治事物起原』の「萬歳の始」によると、大日本帝国憲法発布の日、1889年(明治22年)2月11日に、明治天皇の馬車に向かって万歳三唱したのが最初だという。これ自身は一説に過ぎないものの、『万歳三唱令』で定めた施行日と元号が偶然一致してしまったのである。創作者たちは意図していなかったことだろうが、これにより「万歳作法の規定」に対して妙なリアリティが付与されてしまったのだ。これを補強するように、施行日を明治22年に合わせた改編版まで出回っていたという。

世紀末の日本に伝統を正当化する動きがあった

共同通信の報道があった1999年、一つの法律が施行された。その名前は「国旗及び国歌に関する法律」。それまで国旗も国歌も法律で定められていなかったのか、と驚くものの、とにかく本法律のように「伝統を正当化しよう」、という機運が当時の日本にはあったようだ。このことが、「万歳作法を規定する」文書の普及に役立ったのかもしれない。

まとめ

本来は『宴会ギャグの文書』というメタデータを持つ『万歳三唱令』なのだが、普及に伴いメタデータが揮発してしまった。これにより主題が「宴会ギャグ」から「万歳そのもの」へとすり替わってしまった。ここに「万歳の起源は実際明治期だったらしい」「ちょうど日本国内で伝統を正当化する動きがあった」という背景が文書の尤もらしさを強化してしまい、全国的な広がりにつながってしまったのかな、と個人的には思う。

本来、「万歳」に定型というものはない。好きな形で喜びを表現すればよい。だったら出所は怪しいけど尤もらしいこのポーズが「うちの定型」ってことでいいんじゃないの。そんな良く言えばおおらか、悪く言えば適当な受容のされ方が、この文書の広がりからは感じられる。だがそもそも宴会ギャグとして生まれたジェスチャーである。それくらいのノリのほうが、扱いとしてはちょうどよいのかもしれない。


参考文献

注釈


  1. 1973年のトイレットペーパー騒動は「石油危機でトイレットペーパーが不足する」というデマから全国的な買い占め騒動に。1973年の豊川信用金庫事件は「豊川信用金庫が倒産する」という女子高生の冗談が広まり、実際に取り付け騒ぎが発生した事件。 

  2. 明治時代初期に設置された最高官庁『太政官』によって交付された法令。『断髪令』や『廃刀令』などが有名。 

  3. 天皇陛下の名前と印章のこと。 

  4. 例えば、2000年には朝日新聞の記者が南九州の大きな神社で神主から内向き万歳を「作法」として教わっていたり、2010年には自民党の木村太郎が当時首相の鳩山由紀夫に対し、式典中に行った前向き万歳について「正式な万歳の作法とは違うように見受けられた」と国会で質疑を行ったりしている。 

  5. 最初は天皇陛下が云々ということを考えていたが、それは不敬罪になるかもしれないという忠告から、太政官布告の体をとることにしたという。 

  6. 1年の開きがあるが、これはAが西南戦争終結を明治11年と勘違いしていたことによる。 

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