1956年、アメリカの書籍業界で発生した大混乱を、あなたはご存じだろうか? 全国の書店で、ある一冊の本に関する問い合わせや予約が殺到していたのだ。だがその本はいくら調べても、どのリストにも存在しない。いったい彼らは何を探し求めているのだろうか? 実は、この騒動はとある深夜ラジオが発案したいたずらであった。やがていたずらの規模は制御不能なものになり、なんと最後には存在しない本が発禁処分になるという異常事態が発生した。本コラムでは、ラジオパーソナリティジーン・シェパードが生み出した架空の書籍『I, Libertine』にまつわる騒動をご紹介しよう。
仕掛け人
本騒動の仕掛け人、ジーン・シェパード1は風刺の天才であり、優れたストーリーセラー2である。彼はそのトークを活かしてラジオパーソナリティのキャリアを始めるも、当初はラジオ放送局の経営陣とあまりそりが合わなかった。というのも、当時のラジオ業界は最新のヒット曲をかけ、雑談を最小限に抑えるという番組構成が主流だったため、彼のしゃべくりスタイルはマッチしなかったのだ。たとえ地元紙で「世界一の頭脳派ディスクジョッキー」と讃えられようとも、彼は一つのラジオ局に長居することができず、トレド、フィラデルフィア、シンシナティといった都市を転々とすることになる。
1955年、34歳になってニューヨークWOR3に雇われた彼には土曜午後の番組が割り当てられる。しかし、シェパードのスタイルはあまりリスナーに響かず、聴取率は良くなかった。そこで1956年1月、WORは彼の担当番組を平日深夜午前1時~5時30分の枠に変更する。おまけにニューヨークのスタジオを深夜営業するコストを渋ったため、ニュージャージー州カータレットの送信所での収録を強いられたのだ。
そこは窮屈で暑く、換気も悪いという劣悪な環境だったが、経営陣の目が届かないことは都合がよかった。おまけに番組は4時間半の長丁場。皮肉屋でおしゃべりのシェパードにとっては言いたい放題できる最高の状況である。そして彼のポップカルチャーの豆知識や鮮やかな語り口の巧みな展開を織り交ぜながらも、陰鬱で思索的な独白は午前2時のリスナーに熱烈に支持された。
ナイト・ピープル
番組のリスナーたちは「ナイト・ピープル」と呼ばれた。規則正しく夜寝て、昼に働く「デイ・ピープル」の対比というわけだ。「デイ・ピープル」たちは画一化された日常生活を送る堅物で、”正しくあること”を大切にする保守的な人物。対する「ナイト・ピープル」は行間の真実を探し求める、枠にとらわれない反権威的な人物で、世界を本当に動かしていたのは我々だ、というのだ。
シェパードは「まぎれもなく、私たちは世の中から外れたごくごくごく一握りの少数派だ」と連帯感を訴えた。そして彼は番組中、勝ち誇ったように「Excelsior!」と叫び4、そのあとすぐに「このバカめ……」と呟くのがおなじみだった。
ある日、シェパードは自分たちがメディアや広告業界にどれだけ踊らされているかを番組上で嘆く。例えば本一つとっても、メディアの評判次第だと。彼が語ったのは、自身が遭遇したこんなエピソードだった。
リストに支配された街
その日、ジーン・シェパードは怒り狂っていた。探していた書籍が書店になかったのだ。それも店員の態度が最悪だった。店内を探すこともせず、手元の刊行リストをちらりと見て「リストにありません。そんな本は存在しませんよ」などと言ってのけたのだ。彼は書籍の存在を確信していたにもかかわらず、店員の態度は変わることがなかった。
この件に限らず、インディアナ州ハモンド生まれのシェパードにとって、ニューヨークは不思議な街だった。
「週末はどこに行こう?」 「興行収入ベスト10に載っているあの映画を見に行こうか。」
「この本は面白いかな?」 「ベストセラーリストに載ってるんだから、面白いに決まってるさ」
一事が万事こんな感じで、ことあるごとに「ベスト10」、「リスト」が参照されているのだ。この街の「デイ・ピープル」たちはリストに執着し盲信していると、シェパードはそう感じ、驚いた。彼らは秩序に魅了され、リストを愛し、成功を掴むことに執着している。これらのリストは人間によって作成されていて、だからこそ作り手の偏見や恨みといったバイアスが反映され、不完全なものになりうるにもかかわらずだ。そして午前3時に起きている人は、そんな状況に内心疑念を抱いている……
その中でシェパードが最も腹を立てたのは、ニューヨーク・タイムズの書籍ベストセラーリストだった5。このリストの作成基準は単なる書籍売り上げだけにとどまらず、顧客からの要望や質問すら含まれており、書籍が売れていない場合でも、その問い合わせを十分に集めることでベストセラーリストに掲載されることがあるという。
シェパードは続ける。「明日の朝、私たち一人一人が書店に行き、存在しないとわかっている本を頼んだらどうなるだろう?」
『I, Libertine』
シェパードとリスナーたちは問い合わせる書籍の設定を詰めていった。タイトルは『I, Libertine』。日本語に訳すと『われ、色事師』といったところだろうか。内容は18世紀イングランド宮廷生活を舞台にした三部作の一作目だ。
また著者はイギリスの退役軍人で学者という設定のフレデリック・R・ユーイング。彼は妻のマージョリーとともにイギリスの田舎の邸宅に住んでいるという。
そして出版社はケンブリッジ出版局傘下のエクセルシオール6・プレス。もし、問い合わせた先の書店員が「ナイト・ピープル」ならば、「このバカめ……」と呟いて笑いが取れるというわけだ。
そして翌日、「ナイト・ピープル」たちが昼の舞台に解き放たれる――
書店の混乱
彼らは何百店という書店へと押し寄せ、『I, Libertine』について問い合わせた。当初は書店側もそんなものは存在しないと返答していたものの、2人、3人と問い合わせが続けば不安にもなる。書店員たちは互いに電話し、その本について知っているか、どこで入手できるのかを訪ねあった。
その本はどのリストにも載っていない。だがこれほど多くの人が多くの場所で求めているのだ。どこかにあるはずだ……
この問い合わせによるいたずらは、なんとアメリカ国内にとどまらなかった。どうやら旅客機の添乗員やパイロットにも生粋の「ナイト・ピープル」がいたようで、彼らはパリ・ローマといった渡航先の書店でも熱心に『I, Libertine』を問い合わせたという。
こうして順調に問い合わせを積み上げていったわけだが、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに載せるという計画は頓挫することになる7。リスナーの暴走により混乱が制御できなくなり、真実と虚構の区別がわからなくなってきたのだ。
書店にとどまらない混乱
あるリスナーによると、問い合わせの際、高慢ちきな書店員が「私はフレデリック・R・ユーイングはこれまでずっと正当な評価を受けていないと感じていたんだ」と答えたという。これだけならまだ書店内にとどまるちょっとした笑い話ですんだかもしれない。だが、この混乱はじわじわと書店の外へと独り歩きをしていくことになる。
別のリスナーによると、ある社交グループで『I, Libertine』のことを言及したところ、「その本を読んだことがある」と3人の女性が主張をし始め、好みの章について議論を始めたという。また、ある大学ではリスナーがユーイングについてをまとめた期末レポートを作成したところ、教授から激賞の言葉とともにB+の評価をもらったという。ニューヨーク・ポストのライターであるアール・ウィルソンはこの作家と昼食を共にしたとさえ主張していた。
このように、当初の目的だった書店を飛び出してリスナーたちが言及を始めた結果、「よくわからんが『I, Libertine』という本が存在するらしい」という認知が広まっていってしまったのだ。
最悪の出来事はボストンで起こった。大司教区で働いていたリスナーが「うっかり」『I, Libertine』を禁書リストに載せてしまったため、本書は存在しないのに禁書扱いになってしまったのだ。
種明かし
いたずらによる混乱は最高潮に達していた。シェパードはのちに「次は大統領がこれに言及するのでは」と当時の不安を明かした。「そうなったら、何も信じられなくなる!」
そんなとき、彼はウォール・ストリート・ジャーナルのカーター・ヘンダーソンから電話を受ける。「そろそろこの話を暴露すべき時ではないか?」と。こうして1956年8月1日、同紙夕刊一面にていたずらを暴露する記事が掲載された。これは1週間にわたる大ニュースとなり、記事はソ連の国営新聞プラウダにも一字一句そのまま掲載されたというから、当時の混乱のほどが伺える。
出版と騒動の収束
ただ、これだけ混乱が広まっているということは、裏返すとそれだけこの本にニーズがあるわけだ。ある日、編集者のイアン・バランタイン、小説家シオドア・スタージョン8、そしてシェパードの三人は昼食を共にしたことをきっかけに、バランタインはスタージョンに『I, Libertine』を実際に執筆することを依頼する。
シェパードが組んだプロットに沿う形でスタージョンは『I, Libertine』を清書し、ついに1956年9月13日にバランタイン・ブックスから同書は発売された。内容はランス・コートニーを名乗る野心家の物語で、その大部分は本コラムでも紹介したあのエリザベス・チャドリーの生涯に基づいたものであった。
フランク・ケリー・フリークスによる表紙には酒場の看板「Fish and Staff」として羊飼い(Shepherd=シェパード)の杖とチョウザメ(Sturgeon=スタージョン)が描かれ、真の著者がほのめかされている。裏表紙にはシェパード扮するユーイングが、何とも言えないさえない表情で著者近影として写されており、「ナイト・ピープル」が手に取ればにんまりできる外見だったというわけだ。もちろん、おなじみのフレーズ”Excelsior!”も表紙に描かれていた。
『I, Libertine』の出版は、ある種騒動の収束に役立った。つまり、混乱していた各メディアたちは、このいたずらが単なる安っぽい宣伝活動に過ぎなかった、本を売るためだったと片付けることができたからだ。実際のところ、書籍販売による収益はすべて慈善団体に寄付されたものの、例えばUPI通信ではシェパードの行動には営利目的があると強く示唆していた。
以上が架空の書籍として生み出され、大混乱を巻き起こした末に実際に出版された『I, Libertine』の物語である。いかがだっただろうか。個人的には、よくこの程度の混乱で済んだな、という感想を抱いた。というのも、騒動のきっかけを要約する9と、こうなるからだ。
ジーン・シェパードというインフルエンサーが「ナイト・ピープル」と「デイ・ピープル」という対立構造を煽り、ラジオというネットワークサービスを通じて『I, Libertine』というデマを扇動した。
2020年代に生きる我々なら、これがまさに現在ネット上で問題になっている社会現象と構造的に似通っていることに気が付くだろう。そして現代では、こうした問題は時に刑事事件にまで発展していることも。アメリカ中で迷惑を巻き起こした騒動ではあったが、だれも物理的に傷つかなかった10のは、幸いだったと思う。
しかし、ある意味シェパードがいう通り「ナイト・ピープル」が世界を動かしたこの騒動だが、「書店に問い合わせる」という画一的な方法で実現したのは、なんとも言えない皮肉さを感じる。
最後にシェパード本人の言葉を引用して、本コラムを締めようと思う。
人は、一歩踏み出して自分で考えることを心から恐れている
ジーン・シェパード
参考文献
- アレックス・バーサ ‘ウソの歴史博物館‘ 文芸春秋 2006 訳:小林浩子
- Emily Temple ‘8 Notable Attempts to Hack the New York Times Bestseller List’ Literary Hub 2017 https://lithub.com/8-notable-attempts-to-hack-the-new-york-times-bestseller-list/ 参照日: 2026-02-15
- J. Mark Powell ‘The Bestseller Book That Didn’t Exist: how the author of a beloved Christmas classic pulled off the Hoax of the Century’ 2015 https://jmarkpowell.com/the-bestseller-book-that-didnt-exist-how-the-author-of-a-beloved-christmas-classic-pulled-off-the-hoax-of-the-century/ 参照日: 2026-02-15
- ‘Night People’s Hoax On Day People Makes Hit With Book Folks’ The Wall Street Journal 1956 8/1 p.1
- Jeffrey Davies ‘Conformity Killed the Radio Star: The Great Literary Hoax of I, LIBERTINE’ Book Riot 2023 https://bookriot.com/i-libertine-hoax/ 参照日: 2026-02-16
- Matthew Callan ‘The Man Behind The Brilliant Media Hoax Of “I, Libertine”’ The Awl 2013 https://www.theawl.com/2013/02/the-man-behind-the-brilliant-media-hoax-of-i-libertine/ 参照日: 2026-02-17
- Wikipedia ‘I, Libertine’ 2026 https://en.wikipedia.org/wiki/I,_Libertine 参照日: 2026-02-09
注釈
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同名の女性カントリー歌手がいるが別人 ↩
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最高のクリスマス映画の1つと称されることもある1983年のアメリカのコメディ映画『クリスマス・ストーリー』の原作者でもある ↩
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AMラジオ局 ↩
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「夜の仲間たちよ、前へ!」といったニュアンスで用いられた ↩
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現代でもデータ解釈方法は公開されておらず、その権威に対して選定方法には不透明な部分があると批判されることがある ↩
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Excelsior! ↩
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シェパードは「実際にベストセラーリストに載った」と主張するも、事実として確認はできていない ↩
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当時カルト的人気があった、”文学性”を持ち込むことで50年代のSF観を揺さぶった作家。今でもファンは多い ↩
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現代観点で見た作為的な要約ではある ↩
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社会的に傷ついた人はまあまあいる気がする