NHL史上もっとも有名な”架空の選手”――制度が生んだ虚構「ツジモト・タロウ」

1974年、アイスホッケーリーグNHL1のドラフトにて、ある無名の選手が選出された。彼の名前はツジモト・タロウ。日本のアマチュアリーグでプレーしている選手だという。そんな選手、いただろうか……? 連絡を受けたコミッショナーが首をひねるも、ひとまずは指名選手として登録される。だが、彼の疑問は完全に正しかったのだ。なぜならそんな選手はこの世に存在しなかったのだから。本コラムでは極めて異例な形で行われた1974年のNHLドラフトと、その中で生まれた架空の選手、ツジモト・タロウをご紹介しよう。


ライバルリーグとドラフト開催

1974年、NHLはあることに頭を悩ませていた。1972年に誕生した新リーグWHA2との選手獲得競争が激化し、各チームが思ったように選手を確保できなくなってきたのだ。特にドラフトでは、WHAの方がNHLよりも早く開催しており、さらにNHLが指名できない若い選手3もWHAが確保するなど、対応が後手に回ってしまっていた。

そこで、NHLはその年のドラフトをきわめて特殊な形で行うことを決定した。それは以下条件で開催するというものだった。

  • 通常よりも早く開催する
  • 完全に秘密裏で行う
  • すべての進行を電話で行う
  • ドラフト対象を18歳に引き下げる
  • 指名は通常の倍以上の25ラウンド
  • ドラフト期間を3日間に分ける

通常、ドラフトはチーム代表が会場に集まり対面形式で進行される。それを完全非公開で、電話だけのやり取りで行うというのだ。滞りなく行うことができるのだろうか? そうした一抹の不安を抱きながらも、1974年5月28日、この特殊ドラフトが幕を挙げた。

地獄のドラフト

結論から言うと、このドラフトは滞りまくった。なにしろNHLコミッショナーのクラレンス・キャンベルが全18チームのGMに対して指名順に電話をかけなければならない。おまけに、指名がかぶらないよう、これまでどの選手が選ばれたのかを口頭で伝える必要がある。そのあとでようやく、GMは自チームがどの選手を獲得したいのか指名ができるわけである。

ずっと電話をかけ続けるキャンベル側も大変だが、GMたちにとっては電話がいつかかってくるかわからないし、やりとりも非常に煩雑で長い。もはやこのドラフトはいつ終わるのかわからない地獄へと変貌していたのである。

注目度の高い上位指名が続く初日の指名はなんと8時間にも及んだという。このドラフト形式がどれだけ大変だったのかがわかるというものである。

いたずら

ドラフト二日目、バッファロー・セイバーズ4のGMパンチ・イムラックは既にうんざりしていた。このドラフトはいつまで続くんだ? 終わりの見えないドラフトに苛立ちを募らせた彼はこう考えた。キャンベルにいたずらを仕掛けてやる。何をしてやろうか

セイバーズのドラフト指名チームは

  • GM パンチ・イムラック
  • コーチ フロイド・スミス
  • スカウティングディレクター ジョン・アンダーセン
  • 広報ディレクター ポール・ウィーランド

という4名体制だった。チームの中でアンダーセンが提案する。誰も知らない選手を指名してみるのはどうだ? そしてウィーランドが便乗した。裏取りが難しい場所をでっち上げればいい。例えば日本とか。

こうして、架空の日本人選手をでっち上げてドラフト指名するというばかげたプロジェクトが、地獄のドラフトの裏で立ち上がったのだ。

雑貨店への問い合わせ

その日、バッファローにある雑貨店「ツジモト ガーデン&ギフト」に、奇妙な問い合わせ電話がかかってきた。問い合わせ元は地元ホッケーチームのセイバーズ。問い合わせ内容は以下の3点だった。

  • 店名を使用していいか
  • 日本人男性のありふれた名前は何か
  • サーベルを日本語に訳すと何か

店主である日系アメリカ人ジョシュア・ツジモトは困惑しつつも店名の使用許可を出し、質問には「タロウ」、「カタナ」と回答した。

問い合わせたのはウィーランドであった。彼は学生時代、通学中にこの雑貨店の前をよく通っていたことを思い出したのだ。でっちあげに必要な情報はそろった。指名対象のドラフト選手はツジモト・タロウ。彼は大阪出身でJIHL5トウキョウ・カタナズに所属する20歳のフォワード。直近シーズンでは15ゴール10アシストの成績を残したという設定だ。

指名

キャンベルからセイバーズに11巡目指名の電話がかかってきた。10巡目までに目ぼしい選手はすべて取った。いよいよその時がやってきたのである。恒例となった長ったらしいやり取りの後、イムラックは答えた。セイバーズの次の指名はトウキョウ・カタナズのツジモト・タロウだ

「ツジモト?」とキャンベルが聞き返したかどうかは定かではないが、間違いなく困惑したことだろう。何しろ当時のドラフトは北米の選手が中心。近年になってようやく欧州の選手にも注目が集まってきた程度である6。アジア圏の選手など珍しいにもほどがある。しかし、ドラフト指名選手の国際化が進んでいることも確かだ。そんなわけで、キャンベルはツジモトを実在する無名の有望株だろうかと仮定し、指名を受け入れてしまったのだ。

こうして、セイバーズはドラフト11巡目、全体183位でツジモトを指名することに成功したのである。

いたずら継続

イムラックらが仕掛けたいたずらは、完全に秘匿された。セイバーズオーナーであるノックス家にすらである。そして、彼らはこのいたずらをどれだけ続けられるか試すことにした。

彼らはタロウがトレーニングキャンプに実際現れるかのように振舞った。ロッカールームの席を割り当てたのだ。そして、背番号13「TSUJIMOTO」と書かれたジャージも用意するという念の入れようである。

インターネットが普及しておらず、またアジア圏にスカウト網もないような時代である。多くのメディアは関心を持つものの、カタナズやツジモトの調査は容易ではない。何も知らないオーナーは「この日本人選手はいつキャンプに来るのか?」と何度も訪ねてきた。イムラックはメディアやオーナーの問い合わせに対して、「今シーズンに渡米が間に合うかはわからないが、彼の獲得権利はキープしておく」と回答したという。

また、同僚となるドラフトルーキーたちも彼の存在には興味津々だったようだ。セイバーズにドラフト2巡目で指名されたダニー・ゲアによると当時「タロウはいつ来るんだ?」という話題や、「彼はビザの取得に手間取っている」という噂などが沢山上がっていたという。

種明かし

とはいえ流石にキャンプ以降までいたずらは続けられなかった。チーム運用に支障が出るからだろう。イムラックは、キャンプが始まって初めて、ツジモトが存在しないことを明かした。

当然、キャンベルは激怒した。イムラックの当初の目的は果たされたわけだ。結局、NHLの公式記録上、183位のツジモトは「無効な指名」となってしまったという。

ちなみに、この年のドラフトはツジモトで1巡無駄にしたもののセイバーズにとって「あたり年」であった。先に挙げたゲアはNHL初出場の試合開始18秒でゴールを決めるという鮮烈なデビュー後、800試合以上に出場した得点王で、彼の背番号18番は永久欠番となっている。ツジモトの直前に指名されたデレク・スミスも、335試合に出場し194ポイントを残すという立派な成績を残している7。それまでのドラフト結果に手ごたえがあったからこそ、イムラックらにこのいたずらを挟む余裕が生まれたのかもしれない。

内輪ネタ化

ツジモトは単なるドラフトのいたずらで終わらず、セイバーズファンの心に残った。内輪ネタとして広まっていったのだ。たとえばホームゲームで相手チームのワンサイドゲームとなるような状況だと、ファンたちはこぞって「タロウを出せー!」とチャントを上げた。さらに「タロウ曰く…」という文句に続けて自チームを鼓舞したり、相手チームを揶揄するような言葉を続ける横断幕を掲げるようなことも流行ったようだ。こうしたツジモトに関する内輪ネタは、ドラフト後も何年も続けられたという。

そして、今でもセイバーズのホームゲームでは「TSUJIMOTO」のジャージ8を着て応援するファンの姿を見ることができる。ジョシュアの孫ジョシュ・ツジモトもその一人だ。ツジモト家では、タロウの伝説が代々語り継がれており、ジャージもその記念品として父ポールから贈られたものだという。


以上が、1974年に開催された異常な形式のドラフトと、その中で生まれたいたずらツジモト・タロウの物語である。いかがだっただろうか。個人的には、WHAに対抗して考えられたこのドラフトの形式が、ことごとく全てツジモトを生みだして受容される下地になってしまったことに面白さを感じた。本文ではドラフト指名の国際化が要因と記載したが、それ以外にも要素はあったと思う。今回は以下三つの視点で考えてみたい。

  • GMたちの拘束時間の長さ
  • 最大25巡のドラフト
  • コミッショナーの負担

GMたちの拘束時間の長さ

イムラックがイラついた通り、とにかくこのドラフトは長かった。そして次の指名の電話がかかってくるまでとてつもない時間がかかることが確定していた。この時間を使って、存在しない選手を作ってしまおうと考えるには十分な長さだったのだろう。

最大25巡のドラフト

ツジモトが選出されたのは11巡目。普通のドラフトだと最下位に近く、逆に注目が集まる順位である。だが、この年は最大で25巡という超大型ドラフトであった。だからこそ通常では最下位指名のはずだが、中盤のちょっと気になる選手だよというアピールに収まってしまったように感じる。

コミッショナーの負担

そもそも、このドラフトはキャンベルへの負担が大きすぎる。初日は8時間かけて各GMたちとドラフトを実施したわけだが、逆に言えばこの時間キャンベルは電話をし続けたわけだ。間違いなく疲労は溜まっているはずだ。そんな中存在しない選手を見極められるか、というとまあ難しいだろう。

こうした状況の中ツジモト・タロウは指名選手として登録されてしまったのである。色んな要素が組みあがりつつも、こうして歴史に残るのは面白いな、と思う。

まとめ

こうして当時のドラフトの状況を見てみると、とてつもない混乱が発生していたことがよく分かる。一方で、うまく指名をできたチームは余裕があったのだろう。セイバーズは恐らく後者だった。だからこそ、「ツジモト・タロウ」という謎めいた選手を指名し、話題を集めることができたののだろう。個人的には、そう思う。


参考文献


注釈


  1. ナショナルホッケーリーグ。北米4大プロスポーツリーグの一つ 

  2. ワールドホッケーアソシエーション 

  3. NHLは20歳以上のアマチュア選手を獲得対象とした一方、WHAは17歳の選手にも契約を提示した。 

  4. ニューヨーク州バッファローを本拠地とするホッケーチーム 

  5. 日本アイスホッケーリーグ。現在はアジアリーグに統合されたため廃止 

  6. ライバルリーグのWHAが欧州選手にも積極起用したことがきっかけ 

  7. とはいえ指名順には思うところがあったらしく、スミスはゲアに「君はリーグの得点王として記憶されるだろう、そして俺はツジモトより先に指名された選手として記憶されるんだろうな」と言ったという。実際そうなっている感は否めない 

  8. 背番号はイムラックがでっちあげた13番と、ドラフト年の74番の二種類があるようだ 

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